きゐのブログ

きゐ(きい、きぃ)です。ブログはじめました。

あけおめことよろです。/ 前へ進むということ。


皆様、ごきげんよう。
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくです。

今年初めての記事になりますね。
あまり頻繁に記事を更新することはなかなかできませんが、
それでもこうして言葉を綴りたいという衝動がしばしば沸き起こります。
いつの時代も人は思いを言葉にしないと生きていけないのでしょう。
古くは俳句や短歌として、今ではブログ、Facebook、或いはtwitterで。

皆様の昨年はいかがだったでしょうか?
私にとって昨年は、前に進もうとして、前にあまり進めず、でも私なりに前に進むことを模索し、あとはぼんやりしていた、そんな日々でしょうか。

思えば2年前の今頃、仕事の不出来や将来への不安でずいぶんと落ち込んでいました。
それまでぼんやり遊んでいたことに対して自分を責めたりもしていました。
(中略/以下の段落一部加筆修正※1)
そんなことがあって、昨年は、どうすれば前へ進めるのか模索してました。
少しでも何かを達成させたいと思って昇段審査や某試験を受けたり、悩み事を先輩や仲の良い友人たちに相談したり。それでもあまり前へは進めていませんが、よい1年だったと思っています。

昨年末、高校時代の親友が遊びに来てくれました。
高校卒業後、東京で浪人し、単身渡米してアメリカの大学へと進学した親友。昔からタフな人でしたが、思い通りにならなかったこともたくさんあるだろうし、言語の壁、文化の違いなど、アメリカで多くの苦労をしたと思います。
その友人がこんなことを言っていました。
「間違いを間違いにさせない。」
私たちは生きていくうえで多くの選択を迫られることになります。
その中には、何が原因であれ、自分の本当の気持ちにそぐわない選択、或いは最適・最善ではない選択をすることがあるかもしれない。それでも、そんな間違いを間違いにしないくらいに今を一生懸命いきること、それが大事なのだと。

昨年5月、私はこれと同様の言葉に出会っています。
それは後ろを向いてばかりの私に、妹が教えてくれた次の言葉です。
「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」
Twitterで流れてきたのを見つけたというこのフレーズは、平野啓一郎『マチネの終わりに』の主人公、蒔野の言葉。あまりに印象に残ったので、この言葉を知って数日後本を買い、一週間ほどで読みました。

『マチネの終わりに』は主人公、蒔野聡史と小峰洋子の二人の恋物語です。
運命的にひきよせられた二人にやってくる逆境やすれ違いは読んでる私たちも心が痛んでくるし、それでも今を一生懸命生きていく彼らの姿はとても力強いなと思えます。

詳細な内容については他の書評に譲ろうと思いますが、この本をすべて読み終えた後で読んだ三浦崇宏氏の書評(※2)が私は心に残っています。彼はこの本を「正しい後悔の教科書」だと語っています。上の言葉が言うように、過ぎ去った過去が将来になって意味を持ちなおすということが人生いくらでもありえる。それは後悔する人間を前向きに生きる一つの理由たりえると。

今の私はまだ、2年前のあの時期に対して意味を見いだせてはいないかな。
今年一年、今を一生懸命生きて、少しでも前へ進めるとよいなと思います。
過去が少しずつ変わってくれるように。間違いが間違いでなくなるように。

元旦は京都の八坂神社、北野天満宮、今宮神社、上賀茂神社下鴨神社に初詣に行きました。
八坂神社以外は家族と一緒に。せっかくでしたので、正月に初めて着物も着ました。
八坂神社だけは知恩院の除夜の鐘を聴いた後に年明け早々の夜中に行ったのですが、人がすごく多かったです。
引いたおみくじは大吉。今年一年よいことがありますように。(^^)
北野天満宮では災難厄除・学業成就のお守りである梅の枝を買いました。
今は水を張ったペットボトルにさしています。これ、ちゃんと花が咲くそうです。
さっき見たら少しずつつぼみが膨らんできていました。きれいな花が咲いてくれることを祈ります。

どうか今年一年が、私にとっても読者の方々にとっても素敵な一年でありますように。

※1 略した部分も読みたい人は直接声をかけてくださいな。
※2 インターネット上に公開されています。「『マチネの終わりに』を読んで・・・ゲスを極めたあの人が卒論は出さなくてよかったんだと思う理由。」

 

【続】流れゆくとき、そして小林泰三『酔歩する男』の紹介

よく聞くように時の流れはその時その時の状況によって変わる。好きな人と一緒にいる時間は早く流れるし、試験前やプレゼン前の時期というのは、さっさと終わってほしいものなのに長く感じられる。
同様に、年齢によっても時間の流れは違うだろう。毎日出会うものが新鮮な子供の時期は時間はたっぷりあるように感じられた。しかし、大人になった今は、気が付けば一日が終わる。

前にも書いたように私は死ぬのが怖い。もっと今という時間をじっくり味わいたい。だが、時間は流れていく。ならばもし私の意識を(何らかの方法で)いじって小学生のときに戻せば、時の流れは今より遅くなるのだろうか?未来に向けて足早に去ってく時の流れを、遅くすることは可能だろうか?

9月に友人よりすすめられた小林泰三『酔歩する男』はこのような時間と意識の関係性を問いかけるSFホラー小説だった。
主人公の血沼はある日飲み屋で小竹田丈夫(しのだたけお)と名乗る人物に出会う。血沼はその男を知らないが、小竹田は大学時代の友人である血沼をよく知っていると言う。だがこうも言うのだ。それは決して血沼が小竹田のことを忘れているわけではないし、小竹田の記憶が嘘の記憶なのでもないと。理解不可能な話をされて苛立つ血沼は詳細な説明を求め、時の中を酔歩してきたその男は自らの経験を、時の流れにいかにして干渉したのかを話し始めるのだった。

私たちが普段時について語るとき、意識しない限りそれはただの目印にすぎない。何時に○○に集合ね、何日に△△しましょう。何歳でこの子を産んだ。□□は何歳で亡くなった…
物理学ではさらに無機質に、ローマ字「t」で表される、ただのパラメータとなる。定規で長さを測定するように、時間を均質な測定可能な量としてとらえることで、時間の微分積分を考え、運動方程式を記述する。

だが、他人のことを考えず、ただ自らの主観、私という存在の意識を考えたとき、ときが流れているのを感じる。時間とは何か、考えている間にも時は流れていく。時の流れを感じているのは私という存在、意識。だが時が流れないと私たちは物事を考えられない。そんなことを考えているとこんがらがってしまう。
それは自己言及のパラドックスにも似たものなのかもしれない。私たちの意識と不可分な時という存在を、私たちが語るのは不可能なのだ。物理学は、私たちの意識とは無関係な超越的な観測者を暗黙のうちに仮定しているから議論することができるのである。
時の流れというのは本質的に我々の理解の範疇を超えるもので、ホラーなものなのだと思う。

流れゆくとき

先々週末から先週にかけてはイベントが重なって、密度の濃い日々だった。
小中学校の同期と飲み会して、高校の同期と鷹峯や大文字山を散策して、サークルの同期と床紅葉を見て、後輩と紅葉狩り。同窓会ではお世話になった先輩たちに久しぶりにお会いしたし、朝5時まで徹夜でお仕事なんてことも2回あった(←※効率が悪いだけ)。楽しい時間は過ぎるのがはやい。

最近、時が過ぎ去るのが怖い。もっと今という時間をじっくり味わいたいのに。自分の気持ちとは裏腹に、時は過ぎ去っていく。過ぎた時間は記憶、そして思い出として振り返ることはできても、帰ってくることは決してないし、そんなことをしている間にも今は過ぎていくのだ。

そして、死ぬのが怖い。辛いことも哀しいことも悔しいことも、後悔だってあるし、心の傷だってある。でも世にはこんなにも美しいものにあふれ、沢山の出会いがあり、飽きないほどに我々の知らない真実がある。なのに我々は死ぬ運命にある。

いつか家族が、友達が、自分が死ぬ瞬間を想像して、一人血の気が引くほどに恐怖を感じるときがしばしばある。「死の恐怖症候群」とでもいいましょうか。これは小学校3年生の時からだけど。どうしようもないことに抗おうとするところがまだまだ子供な私。

てぬぐい

観光地とかに行ったとき、小中学校時代はよくキーホルダーを買っていました。でもキーホルダーが沢山あっても使い切れないし、もっと日々で使えるものをと思うようになりました。

で、最近はそう思って買うものに、てぬぐいがあります。剣道をやっているのもあって、てぬぐいは身近な存在なのです。

先日北海道に行った時も新しいてぬぐいを買いました。今日はそれのお披露目。じゃーん。

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北海道大学の博物館で買った、北海道の虫のてぬぐい。かわいいです。虫好きにはたまりません。

ちなみに、コレクションというほど持っていないのですが、他にも先輩からもらった数学記号模様の藍染のてぬぐいや鳥獣戯画てぬぐい、京都祇園祭の蟷螂山のてぬぐいとかをハンカチ替わりに使っています。

ブログはじめました。

前からブログをしてみたいと思っていたものの、なかなかはじめていなかったのですが、いよいよはじめることにしました。長く続けられるとよいな…

ペンネームはきゐです。どうぞ宜しくです。

 

記念すべき最初の記事としてとりあえず、少し前に北海道に行った話でも。

所用で札幌に行ってきました。久しぶりに訪れてなんだかとてもジーンときました。

思い出の地を歩いて、美味しいもの(札幌ラーメン、ジンギスカンスープカレー海鮮丼)食べて、小樽の街をぶらぶらして、藻岩山からの札幌の夜景を見て、大通公園北海道大学を歩いて、旅先で出会った人たちと話して、お土産買って…楽しい幸せな日々でした。

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